余薫記

University Student in Kyoto

【日記】予想外の素敵な発見 ーSerendipity

思索に耽るには、夜の静けさはいい。
それはそうと、ふとした偶然の中で素晴らしい発見をすることをセレンディピティserendipityというらしい。



もう夏休みに入ってしまったものの、
期末試験の勉強中に興味深い一文を見つけた。
古代中国の散文『帰去来辞』の一節、



悟已往之不諫 知来者之可追
(已往の諫められざるを悟り、来者の追ふべきを知る。)




作者は詩人である陶淵明だよ。
彼の生きた時代は貴族文学の全盛期だったんだけど、まさに不協和音とも呼べる存在なんだろうか。古風で素朴かつ自然な、独自の世界観を持った詩人だった。彼が書いたその散文作品に、この一文がある。



つまりこういうことだ。
「過ぎた過ちを改めることはできないが、これからのことはみずからの力で始末がつけられる」
※現代語訳に関しては授業の配布プリントからの引用なので、出典を記載していないけれど悪しからず。もし見つけたら追記しておきます(-_-)



あえて理由は書かないけど、なんだか古の詩人に語りかけられているような気がしたんだ。試験勉強中にふと目にして、心に響いた一文だったもので書いてみた。


It was just serendipity!





そういえば最近、
こんな感じで予想外の発見が多いんだ。
だからすごく楽しい。





京都市北部にある大原にて。



What I see is a part of the world.
自分の見ているものは、この広い世界の一部でしかない。



最近とてもそう感じる。
今日は短いけどここまでにしておこう。



ではまたね(*^_^*)

【音楽】星空に人生を追憶する ー中島美嘉『WILL』(2002年)

古代ギリシアではかつて、宇宙の調和が音楽を奏でているとする「天球の音楽(music of the spheres)」という発想があった。その研究をしていたのはピタゴラス、彼は音楽や宇宙の中に数学をも見出した。古に思いを馳せた時、彼らも同じ星空の下で思索に耽っていたのだろうかと思うと感慨深い。



幾千億の恒星たちが放つ光、
それらはどれも過去に輝いていたものだ。



太陽の次に明るいおおいぬ座シリウスは、オリオン座のベテルギウスと共に「冬の大三角」を作ることで有名だけど、あのシリウス約7年前の光らしい。
参考:星の光はなぜ7年後のが、ボク達に見えるんですか?│その他│宇宙科学研究所キッズサイト「ウチューンズ」



見上げれば、過去が私たちを照らしている。





(画像:pixabay.com)



今回考察するのは、
中島美嘉さんが歌う『WILL』だよ。✳︎✴︎


タイトルは「意志」を意味する。
動詞を伴って未来形で使用される事が多いけど、
今回は名詞として使われているね。


そしてなんと秋元康さんの作詞らしい。
その商法には賛否両論あるものの、彼の作詞は心に響くものが多くって結構好きだったりする。


WILL

WILL

  • 中島 美嘉
  • J-Pop
  • ¥250

参照:WILL 中島美嘉 - 歌詞タイム


青春時代を思わせる歌詞で始まる1番。
無数に存在していた可能性への信頼、友達と切磋琢磨して共に夢を追ったこと、そして甘酸っぱい恋愛の思い出だろうか。この時期はありとあらゆる夢を見る。



「瞳を閉じて見る夢」も、
「瞳を開きながら」見る夢も



後者はいわゆる“将来の夢”だろう。
気付けば私も成人を迎えて大人になってしまったけど、子ども時代はたくさんの夢を抱いていた。


外国に行ってみたい、
プール付きのお家に住みたい、
警察官になりたい、
パイロットになって空を飛びたい、
航空管制官になりたい、
国連で働いてみたい……とか


ほとんど“職業に関するもの”だけどね(笑)



(関係ないけど、“将来の夢”って職業を答えなくてもいいと思うんだ。「こういう人間になりたい」「こんな能力を手にしていたい」とかいう選択肢もアリなんじゃないかな?)



それからサビはこう続く。


あれから 僕はいくつの
自由を生きてきただろう
運命の支配じゃなくて
決めてたのは
僕の“WILL”


夜空に輝く星々と同じくらい、私にはたくさんの選択肢があった。未知なる可能性が散りばめられていた。もちろん環境や健康ゆえに、自分の思い通りにならなかったことも多い。でも全てを運のせいにしてもよいのだろうか。いや、今歩んでいるこの道は、自分自身の“意志”に基づいて決めたものじゃないか。紛れもなく、過去の私が下した判断だ。運命に従わないといけない部分もあったけど、いつも決めていたのは私自身だった。





サビが終わり、2番に続く。

(省略)
光のない
闇のどこかに
まだ見えない
未来がある


星空の隙間に広がる闇の奥にも、宇宙は広がっている。その夜空の向こうには未知なる星や銀河の数々が輝いていて、遥か遠くで膨張し続けている宇宙の果ては、まだ謎だらけ。


まるで人生のようだ。
いつも先は見えず、謎に満ちている。



そしてこの歌詞が来る前に、“既に見つけられた星たち”についても言及している。だからこそ、ここの歌詞はこうも解釈できるんじゃないかな。「何も見えない闇の中にこそ、新しい発見がある」と。


参照:宇宙が予想以上の速さで膨張している可能性-既存理論での説明不可能 | マイナビニュース




(画像:photo-ac.com)


そして2番のサビに入る。

記憶が星座のように
輝きながら 繋がる
バラバラに見えていたけど
今ならわかるよ WOW WOW
記憶が星座のように
ひとつになって教える


人生にはあらゆる出来事があり、それが喜怒哀楽の感情を生み出してきた。その瞬間は何も意味を成してないように思える。でもふと過去に思いを馳せたとき、それらは何一つ欠けてはいけないものだったと気付くんだよね。バラバラに散らばった星屑は全て伏線だった。それらは星座のように、頭の中で一気に繋がるときがある。「ああ、あの出来事があったからこそ今の自分がいるんだ」ってね。




ひとつの星座、
ひとりの人生。

これらは似ているように思うんだ。



地上から見える星が発した過去の光。
それらを繋げたものを、
人は「星座」と呼ぶ。


ある人における日々の積み重ねを、
人は「人生」と呼ぶ。





オリオン座。「冬の大三角」で有名なベテルギウスは一番左端にある。(画像:pixabay.com)





そして「変わらない永遠」……




この歌詞にはそう書いてあるけど、私は「永遠」なんてものは信じていない。さっきも書いたけど、地上から私たちが見ている星は、過去の恒星が発した光だ。冒頭で挙げたオリオン座ベテルギウスも、もうすぐ超新星爆発してその命を終えると言われている。まあそれが見られるとしても、私たちが見る爆発は約640年前のものなんだろうけどね(笑)



夜空に輝く星々にも寿命があるのだ。
もちろん私たちの命も、いつかは終わる。



まあ確かに人間のそれに比べたら、星の一生なんてものは遥かに長いから「永遠」に思えるかもしれないね。物事は永遠に続かないからこそ、今この瞬間は尊い早かれ遅かれ人生には終わりが来る。大切な家族や友人に別れを告げるべき日がいつかは来る。だからこそ今を大切にしたいんだ。まあなかなか思うようにはいかないものだけどね…(笑)


どうせ死ぬのなら、
自分の望む未来を生きたいと思う。





Nothing is permanent....
星空も人生もいつか終わるからこそ、美しい。

【喫茶】紺碧の空に映える白亜 ーWalden Woods Kyoto(京都市下京区)

うだるような暑さが続く。
灼熱の太陽はまだその盛りを終えそうにない。


それなのに旧暦ではもうすぐ秋が来ようとしている。
しかし晩夏の大暑はまだまだ続きそうだ。


地下鉄五条駅から歩いて約10分の場所、住宅街の中にシンプルでスタイリッシュな白亜の建物が目に入った。Walden Woods Kyoto(ウォールデン・ウッズ・キョウト)という真っ白なキャンバスみたいなカフェで、その名前もとあるノンフィクション小説から由来しているらしい。

www.walden-woods.com



Walden Woods Kyoto is a Cafe near the Gojō Station in the Kyoto Municipal Subway line. The origin of its name came from "Walden; or, Life in the Woods" written by Henry David Thoreau in 1854. He sought for his own freedom and got into the Walden forest. The concept of this cafe "Walden Woods Kyoto" is your own freedom. All the white-colored things in the cafe are like a canvas when you draw a picture.

Here is a link in English☛ Walden Woods Kyoto



イキナリ英語かよ…(´⊙ω⊙`)❔笑
課題を英語で書いていたせいなのか、なんだか突然書いてみたくなったの(笑) 簡潔に由来とコンセプトを説明してみたよ。たまには練習がてら、英語で書いてみるのもいいかもしれないな。




そしてさっきも少し触れたけど、名前はソローの小説から由来しているんだとか。まだ実物は読んだことがなくて、あらすじや色んなレビューを少し見ていた。本当の自由を追い求めてウォールデンの森に足を踏み入れること約2年間、自然の中で自給自足の生活を送っていたらしい。実は文明の利器に頼らない自給自足の生活に少し憧れを抱いていたりもするので、この内容に興味を持った。




文明の発展で支えられている現代だけど、ひとつでも欠けてしまったらその生活は成り立つのか疑問に思うときがある。きっと大パニックになるだろう。だって便利なものに頼りすぎているから。


ただの通話機器だったはずの携帯電話は、あらゆる機能を持ってしまった。すぐに連絡したいとき、LINEなどの連絡用アプリは非常に便利だ。でもその即時性のせいで❝返事を熟考する時間❞は失われる。自分の気持ちを正直に出し過ぎたり、適当に打ってしまった返事によって、相手の機嫌を損なった経験を持つ人は少なくないだろう。




得られる利便性、失われる熟慮。



便利であることは、本当に世の中をよくしたのだろうか。だからこそ、このカフェの由来を調べたときに出会ったこの小説の内容に心惹かれた。文明の利器に頼らない世界を一度見てみたい。暇なときに図書館で探して読んでみようっと。


森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)

森の生活 下?(ウォールデン) (岩波文庫)

森の生活 下?(ウォールデン) (岩波文庫)





それはそうと、カフェの感想に戻ろう(笑)



❝自由❞がコンセプトであるWalden Woods Kyotoは、全てのものが絵を描くキャンバスのように真っ白だ。小学校時代の親友が言っていたことを思い出した。彼女の好きな色は白だったんだけど、その理由が「どんな色にも染められるから」というものだった。白はどんな色にも染めることができる、自由の色なんだ。幼いながらにも感動して、今もずっとその言葉が胸の中に残っている。



そんな白い自由でスタイリッシュな店内。
テーブル席のない2階は、部屋の中心を四角く囲む形で座るようになっている。お一人様よりはお友達や恋人なんかと二人で行くほうがオススメかな。テーブルという障害物がないぶん、距離が近いから親しみを感じながら会話が楽しめると思う。ちなみに私はぼっちでした。





今回戴いたのはチャイティーラテ。
少しだけ胡椒がまぶしてあって、spiced chai になっている。暑さで疲れていたので甘さが美味しかった。白い店内も爽やかで良い。ラテの甘さがぼっちの身に染みました。その辺のカップルより、私のチャイティーラテのほうが甘かったと思います。




ともかく灼熱地獄の中で安らぎを得た瞬間だった…
ごちそうさまでした。



Hot and humid days are still going on.
Take care of yourself...


蒸し暑い日々が続きますね。
お身体にお気を付けて。

【日記】土潤溽暑 ―Dump Earth Humid Heat

この大暑が過ぎれば立秋、暦の上では秋が来る。
しかしまだまだ暑いものですね。



そしてどうやら西日本には台風12号が来ているんだとか。しかも通常の動きと違うみたいだし、外出は控えると共に注意が必要だね。台風の最新情報は気象庁のホームページより確認できるよ。
気象庁 | 台風情報

www.asahi.com




それはそうと、たまには日記でも書いてみようか。



タイトルは「つちうるおうて むしあつし」と読む。
そして溽暑(じょくしょ)は湿気が多くて蒸し暑いことをさす。ともかく「蒸し暑さで草木も土も汗をかいている」ということだよ😳☀️❕(まあ私の勝手な意訳なんだけどね!笑)



ここ京都の夏は特に蒸し暑い。
周りを山に囲まれた盆地であること、大昔は湖底だったから湿地帯であることが大きく影響している。その古の名残としては、大田神社に植生しているカキツバタなどが有名だよ。さらに下鴨神社にある糺の森は、太古の昔から存在する貴重な原生林でもある。人気の寺社に行くのも楽しいけど、長い歴史を持つ京都だからこそ、こういう視点から見てみるのもまた面白いと思う。




まあそれはさておき……

猛暑だけど屋内に籠りがちだと鬱屈な気分になるし、お散歩がてら甘味処でお菓子でも戴こうかなとカフェ巡りに行ってきた。蒸し暑い日々には冷たい食べ物の美味しさが映えるのである🍨



透明の容器に入った、スッキリとした甘さの冷やしぜんざいが美味しい。窓から差し込んだ光が、たまに小さな虹になっていて綺麗だった。



この日は不思議な紫色の空をしていた。なんだかね、水面に反射する光も紫で魔法使いとか出てきそうな雰囲気。されどそれも刹那のこと、すぐに普通の空に戻ってしまった。あれはなんだったのかな。





なんか最近、寝ているときによく夢を見る。


起きた時はどちらが夢で現実なのか区別できないんだよね。『荘子』にある胡蝶の夢みたいな感じ。怖い夢だと嫌だけど、幸せな夢のときは何だか嬉しい。



鳥になる夢を見ることがある。
風を受けながら大自然の中を飛ぶ夢。身体にあたる風も羽ばたく感触もなぜかリアルで、鳥になったことはないのに空を飛ぶ気持ちよさを知っている。起きてしばらくは、自分が鳥なのか人間なのかわからない(笑) こちらのほうが「胡蝶の夢」の伝説には近いかな?(笑)



ちなみに今日は弟と喧嘩する夢を見ていて、起きた時もしばらくは「クッソ〜〜!!!😠😤」ってなってた(笑) 幼い頃はよく喧嘩したけどもう随分していない。数千年ぶりくらいに弟が憎たらしく感じた(笑)




空を飛びたいなあ。

【読書】吉野雄輔・秋月菜央 著『Heart Blue ー幸せを手にする秘訣』(経済界, 2005年)

雑貨屋さんに置いてある本は、あまりメジャーではないマイナーな部類のものが多いように感じる。でもそこがいいところ。普段なら見つけられないような面白いものが沢山あって、私は結構好きだったりする。


暑い夏の日々だけど、詩集を片手にカフェで一息をつくときは至福の時間だ。太陽の日差しと透き通る水が綺麗で、海に行きたくなる一冊。


Heart Blue―幸せを手にする秘訣 (RYU SELECTION)

Heart Blue―幸せを手にする秘訣 (RYU SELECTION)


吉野雄輔さんがカメラマンで、秋月菜央さんが詩を書かれている本書。モルディブミクロネシアサイパン、バリ、スリランカ、小笠原、西オーストラリアなどの碧い世界が美しい。


物事を本当に知りたいなら、多角的に見てみるものだ。水でさえも内と外では景色が随分違う。太陽は水面に反射すると眩しくて目も開けていられないけど、水中から見てみるとすごく綺麗なんだよ。小学生時代、プールで鼻をつまみながら水中に潜り、よく空を見上げていた。水面を通して見える光や空の青さがなんとも素敵で、その幻想的な世界観に心躍らされていたのを思い出す。


自由な海を思わせる写真の数々に、あの時の世界が脳裏に蘇った。ゆったりと泳ぐ魚たちにも癒される。南国の魚たちは毎日こんな綺麗な景色を見ているのか、と思うと少し羨ましくも感じた。




秋月菜央さんが織り成す、詩の世界観もいい。
日常の些細な感情に寄り添うような感じ。さらに綺麗な海の写真の効果も相まって、壮大な地球に生きている事を感じる。狭い水槽の中では見えない、海の広さや青さがある。本書にある「2億5千万年後には」という詩が特にお気に入りなので、一部引用しつつ紹介しよう。

大きな地球の悠久の時の
小さな呼吸のひとつとなって


2億5千万年後の人類に想いを馳せた、最後の一文。これが特に好き。地球がひとつの巨大大陸だった頃、世界地図にあるような並びになったこと、そして今も大陸は動き続けているという描写は、人生と同じくこの壮大な地球も無常であることを感じさせられた。全ては変化し続ける。始まりがあれば終わりがある。出会いがあれば別れがある。それならばいつかは、人類が海の藻屑となる日も来るのだろうか。



「永遠など存在しない」といえば聞こえは悪い。
でもいつか消えてしまう儚いものだからこそ、一瞬の今に尊さを感じる。
ただ闇雲に毎日を過ごすより、四季の花鳥風月を楽しみたい。この世界をもっと知りたい。あらゆる些細な変化に気付けるようになれたら、毎日もより一層楽しくなるんじゃないかな。まだ浅はかな知識しか持ち得ていないけど、日々を楽しめるよう更に見聞を広めていきたいと切に思う。

咲き遅れたって 焦ることはない
遅咲きは大輪が多いし
枯れるのだって遅い
ゆっくり待とう
花と運は 必ずいつかは
開くものだから
(「咲かない花はない」より一部引用)



大丈夫、きっと。

【読書】ダン・ブラウン著 越前敏弥訳『天使と悪魔(上)』(原題:Angels & Demons)(角川書店, 2006年)

光と闇を感じられる作品が好き。だからこそこの特徴的なタイトルに惹かれて購入してしまったけど、さすがダン・ブラウンである。『ダ・ヴィンチ・コード』を昔読んだとき、ヨーロッパの街並みと芸術美を思い浮かべられる描写、機知に富んだ謎説きが面白く、彼の世界観に引きずり込まれたのを思い出した。


天使と悪魔(上)

天使と悪魔(上)



本作はハーバード大学にて宗教象徴学の研究者を勤める主人公・ラングドンが、とある電話を受けるところから物語が始まる。その相手は、なぜか科学研究機関であるスイスのセルン(欧州原子核研究機構)の所長だった。研究所で殺人事件が起こり、宗教に詳しいラングドンの力が必要だという。



宗教と科学、どう関連があるのか。
そんな疑問を胸に抱きながら読み進めていくと、物語をより深く楽しめると思う。




ヨーロッパにおける悠久の歴史の中で、両者は相反する存在として対立し合ってきた。お互いが敵対視する意味は何だろうか。これは疫病や天災などをはじめ諸事の解決法が、宗教にあったからだと思う。しかし科学の発達はその謎を明確にし、人々により詳細で的確な解決法を与えてしまった。


「日の出や日の入りは、ヘリオスと炎の戦車が起こすとされていた」が、そうではないと。「地震津波もポセイドンの怒りと考えられた」が、それは間違っていると。ここに挙げられたのはギリシア神話の神々だが、当然ながら当時からヨーロッパで強い影響を持つキリスト教も含まれる。つまり科学は、神々の所業だと考えられてきた数々を解明してしまったのだ。


こうなると面白くないのが宗教側だろう。科学者たちを「神に反する者」つまり「悪魔」として迫害した。かつて地動説を主張したガリレオ・ガリレイが宗教裁判にかけられたように。当然ながら、科学者たちも危機感を覚えて敵対し始める。16世紀に始まった知識人たちの議論の場だった団体。宗教に迫害された科学者が身を潜めるための秘密結社であり、そして歴史上では既に消滅したはずの組織―――それがイルミナティだった。



タイトルでもある「天使と悪魔」は、「宗教と科学」のことだったのか。物語を進めながら、これらの関係を吟味していた。


物語では、殺された被害者の胸に謎の刻印が焼き付けられている。冒頭のシーンで印象的な部分だ。セルンの所長に呼び出された宗教象徴学研究者である主人公ラングドンは、その刻印が今は存在しないはずの組織・イルミナティのものであると明らかにする。その刻印がなぜ現代にあるのか戸惑うと同時に、科学者が科学者を攻撃するはずはないと反論した。被害者は優秀な科学者だったからね。






一般的には、科学と宗教は相反する存在だと考えられている。これは物語のネタバレにはならないはずだけど、より深く楽しめる重要なキーワードだと思うので紹介しておこう。先程も書いたように、実際に科学は神々の所業だと考えられてきた数々の謎を解明してしまった。そしてあらゆる現象を予知したりする時は、宗教よりも科学のほうが確かなものが得られるのは自明の理だ。中世ならばまだしも、このご時世で「科学より宗教」と言う人々たちのほうが少ないだろう。しかし実際は、科学に携わる人々の中にもキリスト教信奉者は存在するのだ。この詳細については別書で紹介したい。



そして物語からは少し逸れるけど、大学の友人とご飯を食べていた時に進化論(theory of evolution)の話になったことがある。進化論は賛否両論あるけれど、友人は懐疑的な立場だと言っていた。私自身は文系だから理系科目に関しては学校で習う程度の知識しか持っていない。でも物事には順序があるものだから、当然人間は様々な進化を遂げて今に至るものだと思っていた。もちろん学校でそう教えられたからだ。しかしどうやら日米で学校事情は異なるらしい。アメリカの学校では進化論を教えないというのは調べながら何度か目にしたけど、ダン・ブラウンの本書でも同じことが書かれていたので実際そうなんだろうね。でも日本の公立学校では理科や生物の授業でダーウィンの進化論を習うし、科学が証明した事実のように思っていたから、今まで疑ったことなどなかった。


物事は順序立てて進むものだから、急に1から10になるはずがない」と疑問に感じて反論したのを覚えている。すると友人に、「それならば0から1はどうなるの?ゼロの状態からイキナリ生まれているよ」と返されたものだから戸惑ってしまった。


キリスト教信者ではないから詳しくはないけど、と述べた上で聖書の創造論との関係性についても話してくれた。簡潔に述べると「神は自分に似せて人間を創造した」というものだね。そしてその最初の人間がアダムとイブ(Adam and Eve)だったというのは、キリスト教徒でなくても知っている有名な話だ。(ちなみにイブに関しては、カタカナ表記ではエバという書き方もあるらしい。)


聖書に載っている話は科学に当てはめて考えてみると案外面白いんだとか。日本では地下鉄サリン事件の影響で、新興宗教はじめ「宗教」というワード自体に嫌悪感を持っているように思う。だから声を大にしては言いづらいけれど、「宗教と科学の関連性」というテーマを調べると何か面白い発見ができるかもしれないね。



教科書に載っているからといって、正しいとは限らない。それを改めて考えさせられた。0から1になれるのならば、物事を何もない状態からイキナリ生み出す事も可能だ。あまり書きすぎると物語の内容から逸脱しすぎてしまうので、ここまでにしておこう。



ともかく「宗教と科学の関連性」がこの物語の大きなキーワードである事、そして「宗教と科学に対して中立的な立場をとる科学者」が居るという事を知っていれば、この物語を大いに楽しめると思う。

ローマの美術品、墓所、地下道、建築物に関する記述は、その位置関係も含めて、すべて事実に基づくものである。これらは今日でも目にすることができる。イルミナティに関する記述もまた、事実に基づいている。(『著者注記』より)


イタリアのローマに行く機会があれば、本書を振り返りながらより堪能できることだろう。ダン・ブラウンの機知に富んだ世界観の中で繰り広げられる、天使と悪魔の闘いを楽しみたい。

【読書】ニーチェ著 氷上英廣訳『ツァラトゥストラはこう言った(上)』(原題:Also sprach Zarathustra)(岩波文庫, 1967年)

かの有名な哲学者であるニーチェが、旅人ツァラトゥストラの口を借りて、その思想を展開していくスタイルの本書。岩波文庫は短く難解な言い回しが多いけど、言葉のひとつひとつを吟味できるのが魅力的な点であり、本書はそんな魅力を楽しめる良書だった。

 

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)

 

 

人生において大事なことは何か、と問われたら私はアイデンティティの確立」と答えるだろう。すなわち「自分自身を理解すること」だけど、それは決して楽な道のりではない。なぜなら誰一人同じ人間は存在しないから。そんな世界で個を確立していけば、次第に強い孤独を伴うようになる。

 

「どこかに理解し合える人が居るかもしれない」と期待していても、そんな「自分自身を完全に理解してくれる人」はこの世にひとりも存在しないのだ。

 

 

自分を知れば知るほど孤独が強くなるのは、当然のことではないか。家庭環境・生活習慣・交友関係・健康・学歴・関心事・嗜好・得意分野……好きなものも違えば、生きてきた背景もそれぞれ異なる。人生で培われてきた思想も当然異なる。遺伝子が全く同じ一卵性双生児でさえ、同じような環境で育っても性格は異なってくるのだから、遺伝子も環境も異なる人間同士が100%理解し合うなど無理難題でしかない。孤独なのは当たり前だ。されど人は「誰か」を追い求めてしまう。存在もわからぬ神とやらの仕業だろうか。

 

そういえば「神は死んだ」という、かの有名なニーチェの言葉は本書にある。科学の発展などでキリスト教に対する信仰心が薄れてきた時代に対して、この比喩を使う事によって「従来の価値観からの転換」を示そうとしたんだろうね。科学と宗教の関連性は非常に面白いから、これについてはダン・ブラウン著『天使と悪魔(上)』や、三田一郎著『科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで』の感想でまた詳しく書きたい。

 

さて話を戻すと、ツァラトゥストゥラの口を借り孤独な者に対してニーチェはこう語る。自分の敵は、いつも自分自身なのだと。これは103ページより始まる、「創造者の道」という小見出しからの引用だ。

あなたはあなた自身の炎で、自身を焼き殺そうと思わなければならない。自身がまず灰となるのでなければ、どうしてあなたは新しいものとなることを望めよう!

 

創造するためには、まずは破壊されなければならない。アンリ・エレンベルガ―(Henri Ellenberger)という精神医学者が名付けた病名のひとつに、創造の病(Creative Illness)がある。簡潔に述べると「天才たちは精神的に病む経験をしている」というものだ。本書の著者であるニーチェ統合失調症だったそうだ。もちろん神童と呼ばれる部類の先天的な天才も存在するから、この場合だと後天的なものを指すんだろうね。下記のリンクは英語だけど、難しい専門用語などはなく、文系の私でも読み易くて面白かったので載せておこう。

Creative Illness. When Physicists and Artists Found a Common Language. - Sleep and Health Journal Chicago

 

こちらのリンク先で »Physicists noticed that not all disorders in the nature is not necessarily a bad thing. « と述べられているように、病気や障害だからだといって必ずしも悪いというわけではない。精神的な病を持つことはネガティブなイメージに捉えられがちで、精神科に行くことを憚る人たちも多い。

 

しかし、弱点を克服しようとすることの何が悪いのだろう。己の悪しき部分から目を背け、周囲が囁く甘い言葉に負け、現状に甘んじながら生きようとするよりはまだいいと思う。

 

人間は己の醜さを突きつけられると苦しくなる。だから、目を背けることで保身に走ってしまうんじゃないかな。でも自の醜さを認めて向き合うことは、何も恥じる事ではないと思う。むしろ自分の短所を見つければ、人生の解決法を編み出すことができる。創造の病を克服した天才たちは、その弱点を活かして己の武器として携え、世界を変えた者たちなんだろう。自分自身を破滅させるくらいの苦しみを乗り越え、もしくはその苦悩の中で、自ら創造する術を知ったんじゃないのかな。この「創造者の道」の最後に書かれている一文に、とても勇気付けられた。

わたしの涙をたずさえて、あなたの孤独のなかに行きなさい。わが兄弟よ。わたしが愛するのは、自分自身を越えて創造しようとし、そのために破滅する者だ。

 

 

All the difficulties make me strong, I believe.

頑張ろう。

【映画】榮倉奈々・安田顕 主演『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』(2018年)

現在上映中の映画ですね。少し前になりますが母の好きな俳優のひとりが安田顕さんなので、連れられて私も試写会に行ってきました。Yahoo!知恵袋に投稿された質問が話題を呼び、それが映画になったというのだから驚きです。ハリウッド映画みたいに劇的なシーンはありませんが、深く考えさせられる台詞が多く、個人的にとても好きな作品です。ネタバレしないように書くつもりでしたが悪しからず、ある意味ネタバレしてしまってるかもしれません(笑)

 

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映画『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』公式サイト

 

 

題名からも読みとれる通り、「夫婦」がテーマの作品。

 

夫婦に必要なものって何なんだろう。もちろん「好き」同士で恋人になって夫婦になるんだから、「好き」っていう感情的な要素は絶対必要だと思う。でも一緒に生活していれば必ず自分と異なる点、合わない点は出てくるはず。嫌いになって離婚する可能性は大いに有り得るのに、人はなぜ結婚するのか?

 

 

榮倉奈々さん演じる妻・ちえの発する台詞のひとつひとつが深い。一度聞いただけだと単なる「不思議ちゃん」の発言にしか聞こえない。考えさせられるような台詞が多かった。そしてこの映画を観終わってから、それらをもう一度頭の中で咀嚼してみた。

 

 

 

夫婦に必要なものは「そばにいたい」って気持ちなんだと思う。「恋」と「愛」の違いは何だろうか。恋が「好き」という意味なら、愛は「長所も短所も受け止めて、一緒に居たい」気持ちなんじゃないのかな。真実か否かは別として、夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したのは有名な話だよね。(実際は「我君を愛す」と訳した生徒に対して、「日本人はそんなことは言わない。月が綺麗ですね、とでも訳しておきなさい」と言ったのが真実らしいけど……ネットで軽く調べただけなので気になる方は調べてみてください。)

 

 

そして「I love you」なのに、なぜ月に言及しているのか。国語の授業で習った時にそう疑問に思ったはずなのに、自分の中でこの謎を随分長い間置き去りにしていたらしい。だから二十一歳の今、自分なりの解釈をしてみたい。ものすごく綺麗な景色を見たとき、もし大切な人が居たら「あの人にも見せてあげたい」って思うんじゃないのかな。「月が綺麗ですね」という言葉は、「この月を君と一緒に見て気持ちを共有したい」を意味していると私は思う。

 

「気持ちを共有する」ためには「君と一緒に」見なければならない。だから「月が綺麗ですね」と相手に呼びかけている。

 

 

私の母国語は日本語だけだし、「I love you」が英語でどのようなニュアンスを持つのかはわからない。

 

ただ日本語の「愛してる」はストレートすぎて重過ぎるように感じるし、そう思う人は多いだろう。わかりやすくていいのかもしれないが、その言葉にはそれ以外の意味は含まれない。奥ゆかしさを美徳とする日本人らしい表現ではない、だから夏目漱石は「月が綺麗ですね」と訳させた。なぜなら、この言葉には遠回しに二重の意味が含まれるから。単純に月を楽しむ気持ち、そして「そばにいたい」という気持ち。

 

 

 

何か前にも同じような事を書いた気がするけど、自分以外の人間を100パーセント完全に理解するなんて不可能だと思ってる。

だって他人について考えるとき、「私」というフィルターを通してでしか相手を見る事はできないから。だから大事な人たちが悩んでいる時、悲しみを和らげたくても「わかる」という言葉はなるべく使いたくない。だって相手の苦しさなんてわからないもん。私が想像する以上に苦しんでいるかもしれない。経験したことのない苦しみなら、私は推し量るしかできない。聞いてあげることしかできない。でもそばにいてあげることは出来ると思う。

 

 

 

 

だからこそ異なる人間を理解するなんて、すごく難しいと思うんだよね。

生きてきた背景が違えば、趣味や思想も異なる。「理解したい」「理解してほしい」って頑張れば頑張るほど、相手が見えなくなってきて疲れるんじゃないのかな。だからこそ夫に対してちえが答えた「頑張らなくていいんです」っていう言葉は、すごく考えさせられた。妻であるちえの行動の意味を必死に理解しようとする夫の姿は、カップルや夫婦の間でよくある光景なんじゃないかな。妻を理解したいのにわからない、何か俺に不満でもあるのだろうか。そう問い詰める夫に対して発した言葉。最初聞いたときは「は???」と頭の中にハテナが沢山浮かんだけど、映画を見終えてから全てが繋がった。この台詞、とっても好きです。

 

 

 

「月が綺麗ですね」

この映画を観るまでは、こんなに素敵な言葉だとは思いませんでした。ちえのように懐の大きい女性になりたいものです。幼稚な私にはまだまだ遠いんですけどね~~すぐ感情的になるし頑固だし(´・ω・`)

 

 

もっと精進せねば……ん~~頑張ろう👐